要領の良さとは
中学生の頃、私の考える要領の良さとは、最小限の勉強で最高の点数を取ることだった。
必要最小限の努力、そしてテストで良い結果を最大の成果として得る。
それがすべてだった。
それ以上の勉強をしない、する必要すらあるとは思わなかった。
その延長線で、高校までカリキュラムを要領よく全うすることで、すべてよしとしていた。
現在、40を過ぎて振り返ってみてみると、なんと浅はかな信念だったことか。
普通に進学、就職するレールに乗っているのであれば、それは強ち、間違えでは無い。
大学受験がターゲットであり、大学受験を全うすれば良い、、、
ちゃんとカリキュラムのノルマに則っていれば、途中未完成であることを責められない、、、
不利益が考えられない。
しかし、
チャンスはいつやってくるか、わからない。
こちらが準備ができるまで待ってはくれない。
例えば、仮に自分が海外に挑戦するチャンスが中高生の頃にあったとして、教科書英語のレベルで十分なはずがなく、、、私は”英語力がない”ことを理由に諦めることになる。
極端な例えだけれども、早めに能力を高めて、”貯金”をしておくことに越した事は無い。
大人になって、不意打ちのようにやってくるチャンスを何度歯噛みしながら見送ることになったことか。
意欲を持ったときに、興味を持ったときに、そして無力さを思い知り悔しい思いをした瞬間から、可能な限り、その熱を使って自分を鍛え上げておけ。
今の私が、あの頃の私に一声かけられるなら、そんな事を伝えたい、と思った。
超ひも
超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書) | 橋本 幸士 | 本 | Amazon.co.jp
ときどき、まったく異分野に興味引かれる時がある。
脳みそのストレッチだなぁと思う。
同じところばっかり使っていたら凝り固まってしまう。
正直、興味も関心もなかったけれども。なかなか面白い。
陽子が3つセットになっている理由として「ひも」が存在することを仮定して、考えるとつじつまがあう事象が多いということらしい。
物理学と数学は近いようで遠い。
現象を観察してその理由を探求する物理学。
理論の正しさを数字で追求し、時には数式から(未発見)の事象を推察する数学。
はまると泥沼だけど、しかし、面白い世界だ。
右耳が聞こえない
二週間右耳が聞こえてない。
ストレス性の突発性難聴かなぁと思いながら、生命に問題が無い病気であればいまさら気にすまい、と思っていた。
頭痛や、頭の中の異物感が大きくなり、嫌な予感がしてきたので(脳腫瘍の可能性だって否定できない)、病院で検査。
結果、中耳炎。
生命危機云々の病気ではない。
安心。
とはいえ、回復しない。
原因がわからない。
ふふふ、自分の体が崩れいく。
じわじわと来る。
有限の生命であることを痛感させられる。
そして、残りの生が、五体満足ではない覚悟を、突きつけられる。
厳しい現実を受け入れる心の強さを。
自分の体、環境の変化を受けれいる適応性を。
困難な状況に立ち回れる賢さを。
年齢を重ねるにつれ課題は増えるばかりだ。
だが、この人生は刺激的だ。